2010年12月 6日

産経ニュース-仙石由人研究

Category : 2010 Diary

この記事は面白かったので全文を続きに引用しました。
しかしここまでメディアに取り上げられた官房長官なんて近年いないですよ。





 ■法へのこだわり  官房長官の仙谷由人の言動を追うと弁護士であることへの自負がにじむ。ときに依頼人(首相の菅直人)の利益を守るためならば、論理のすり替え、詭弁(きべん)、恫喝(どうかつ)も厭(いと)わないのも弁護士の宿痾(しゅくあ)だといえよう。  菅が副総理・国家戦略担当相当時に「沖縄独立論」を述べていたことが発覚した今年6月、仙谷は記者会見でこうはぐらかした。  「若いときの職業柄だが、検証しようがない伝聞証拠は、刑事訴訟法で言えば証拠能力がない」  仙谷はその後、沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件でも刑訴法の引用を乱発したが、そのはったりともいえる手法はすでに見透かされている。同じく弁護士資格を持つ自民党参院議員の森雅子は「仙谷さんは、法律知識が豊富な相手にはケンカを売らないんですよ」と冷笑する。  仙谷が弁護士登録したのは昭和46年、25歳の時だった。最初に担当したのは日立製作所の在日韓国人就職差別訴訟。この裁判で、仙谷は見事原告を勝訴に導いた。  当時、在日韓国・朝鮮人差別反対運動に携わり、裁判で補佐人を務めた元現代コリア研究所所長、佐藤勝巳はこう振り返る。  「仙谷は司法修習を終えたばかりで純真な人間だった。4人いた弁護士の中で一番勉強熱心だったな...」  佐藤は、仙谷から「学生運動の活動家上がり」との印象は受けることはなかったというが、「ただ、日本の過去の植民地支配に対する贖罪(しょくざい)意識は非常に強かった。そこは旧社会党的だった」。  法を操る"技術"への過信、そして贖罪意識こそが、政治家、仙谷の言動の根底にあるのではないか。

 ■戦後補償と韓国
 最初に手がけた事件の影響からか、仙谷の韓国への思い入れはことのほか強い。日韓併合100年にあたり過去の植民地支配を謝罪する首相談話も主導したのは仙谷だった。
 平成2年に社会党から衆院初当選後まもなく、衆院議員会館の自室で東大時代の同級生の訪問を受けた。フィリピンや韓国での慰安婦補償請求などを主導し、「戦後補償の仕掛け人」として有名になる弁護士の高木健一だった。
 全共闘運動で正面からの左翼活動に挫折した仙谷は、日本の戦後責任追及に意欲を燃やした。高木とはその後、ロシアのサハリン残留韓国人の帰還事業で連携して日本政府を追及、実際は旧ソ連の責任が大きいことには目をつぶった。「香港軍票と戦後補償」という共著も残した。
 「法律的に正当性があると言って、それだけでいいのか。(日韓関係の)改善に向けて政治的な方針をつくり、判断をしなければならない案件もある」
 仙谷は官房長官就任後の今年7月、日本外国特派員協会で突如として韓国への新たな個人補償を検討する考えを表明した。
 日韓両国は昭和40年の日韓基本条約とそれに伴う協定で個人補償請求問題を「完全かつ最終的に」解決している。法律家である仙谷が知らぬはずはない。今年1月の衆院予算委で仙谷は「日韓基本条約反対のデモに参加した」ことを認め、著書では基本条約について「サハリン残留韓国人問題はこの対象外というのが法的にも素直な解釈だ」と記している。むしろ「誰よりも詳しい」との自負があるに違いない。
 にもかかわらず、新たな個人補償に踏み込んだのは「日韓基本条約は無効だ」との思いがあったからではないだろうか。結局、仙谷は8月の参院予算委員会で「日韓間の請求権問題については最終的に解決済みだ」と訂正を迫られたが、心からそう思っているようには見えない。

 ■小沢弁護にも意欲
 新左翼活動家によるピース缶爆弾事件、社民党元衆院議員の保坂展人が原告となった内申書裁判-。仙谷は弁護士としてこれらの裁判に関わるとともに総評系の労働運動とも深くコネクトしてきた。現在も自治労の組織内議員である。
 「仙谷さんはつねに権力と向き合い、闘い、勝利することを目指してきた」
 徳島県立城南高校の後輩で仙谷の選対本部長を務める弁護士の木村清志は弁護士・仙谷像をこう語る。
 その仙谷が、政治家として目標とするのは元官房長官、故後藤田正晴だというが、後藤田の親族である自民党衆院議員、後藤田正純(徳島3区)はこう見る。
 「仙谷さんには謙虚さがない。権力批判をしてきた人は、権力の座に就くと権力に不真面目になる」
 別の四国選出の国会議員は「仙谷さんは権力闘争が目的化しすぎて、何をやりたいのかいつの間にか分からなくなってきたのではないか」と指摘する。
 仙谷は数年前周囲にこう漏らしている。「人生の最後の10年間は弁護士として活動したい」
 西松建設違法献金事件で民主党元代表の小沢一郎の秘書らが逮捕された昨年春。反小沢の急先鋒(せんぽう)のはずの仙谷は木村に真顔で語りかけた。
 「弁護士として手がけたらなかなかやりがいがある案件じゃないか」
 心は今も弁護士のままなのではないか。(敬称略)


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