2005年9月 4日

JMM最新号

地震多発国、阪神・淡路大震災の経験、ノウハウを持つ日本がもっと役に立つ事は出来ないのかなと思っています。
ただお金を出すだけじゃ、次回もただお金を期待されるだけだろうし・・・
というか今までの日本がそうだった気がします。
以下の記事を見つけました。

JMM最新号: ▼INDEX▼

  ■ 『from 911/USAレポート』 第214回
    「天災と人災」

 ■ 冷泉彰彦   :作家(米国ニュージャージー州在住)

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 ■ 『from 911/USAレポート』 第214回
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「天災と人災」

↓ 記事が見れない人用に




JMM最新号: 「天災と人災」

 ハリケーン「カタリーナ」に襲われて、ミシシッピ州の沿岸部、そしてニューオー
リンズを中心としたルイジアナ州、そしてミシシッピ州の南部は壊滅的な打撃を受け
ました。セプテンバーイレブンスの同時テロを契機に、毎週こうしてUSAレポート
をお伝えしてきましたが、今回のカタリーナは、そのセプテンバーイレブンスを上回
るインパクトでアメリカ社会を揺さぶっていくのではないか、被災から日が経つにつ
れて、深刻さを増す事態を聞くにつけ、そんな暗澹たる思いがします。それは今回の
災害には、人災という部分も無視できないからです。

 何よりも、当初の気象情報がいい加減でした。カタリーナが発生したのは、カリブ
海のバハマ諸島でしたが、熱低(トロピカル・ストーム)の小さめなものだったので、
気象情報では「一旦カテゴリ1のハリケーンとしてフロリダに上陸するが、陸上で勢
力を弱めて熱低に戻るだろう」というような予報が何度も繰り返されたのです。

 この予報は間違いではありませんでした。カタリーナはカテゴリ1(最も弱い)と
してフロリダに上陸、その後は熱低に戻ったというところまでは予報通りでした。と
ころが、熱低に戻った「カタリーナ」は、フロリダの西のメキシコ湾内で予想外の動
きをしました。ゆっくりと湾内に止まりながら北上を開始するまでに、湾内の摂氏3
2度以上という海水温のエネルギーを受けてどんどん発達したのです。その間の報道
は真剣ではありませんでした。

 意外だったのは、メキシコ湾の海水温がかなり緯度の高い、つまりアラバマからミ
シシッピ、ルイジアナの沿岸ぎりぎりのところまで摂氏32度以上のレベルに上昇し
ていたということです。その結果、北上しても発達の勢いは止みませんでした。最終
的に本土をうかがう時点では、中心の気圧が「904ヘクトパスカル」(実際の上陸
時にはやや衰えて908ヘクトパスカル)という信じられない勢力に達していたので
す。

 人災というのは、この「904ヘクトパスカル」という脅威についての徹底がされ
ていないことでした。この時点では、「カテゴリ5(最大級)」だとして気象情報で
何度も警報が出され、最大瞬間風速も時速160マイル(秒速71メートル)だとい
うことが強調されていました。ですが、報道は「いつものハリケーン情報」という雰
囲気を出なかったのです。

 やがて、ニューオーリンズの町に関しては「全市民が強制避難」ということになり
ました。全域が海面下であって、その町を保護している堤防が「カテゴリ3」のハリ
ケーンにしか耐えられないので、万が一の堤防決壊に備えてというのです。実際は
「自家用車を保有している人」だけが大渋滞の中を北へ向かっただけで、その他の人
々を移送するような避難体制は皆無でした。空港がさっさと閉鎖されてしまうと、観
光客は取り残されましたし、動けない入院患者を抱える病院の避難はほとんど行われ
ませんでした。

 ニューオーリンズは、昨年のハリケーン「イヴァン(カテゴリ4)」の際に全市避
難を発動したことがあります。その際には、本来はカテゴリ5のハリケーンにも耐え
られるような堤防と、防潮体制を作るべきなのだができていない、ということが議論
されています。ですが、結果的にイヴァンはコースを外れて、全市避難(この時も本
当に全員の避難がされたのではないと思います)は、言ってみればムダに終わりまし
た。今回の全市避難には、昨年の事件による「狼少年」効果があったのかもしれませ
ん。

 また上陸当日の報道にも問題がありました。「カタリーナ」が上陸間際に若干勢力
が弱まったこと、そして中心の通過がニューオーリンズの町よりは僅かに東となり、
中心の東側という最も暴風雨の激しい部分が外れたことから「最悪の事態は回避され
た」という報道がされたのです。実際は、暴風雨が静まってから堤防の決壊が起こり、
静かな形ですが「最悪の事態」は現実のものとなりました。

 仮にそうであっても、本当に最悪の事態になれば、州や市、そして連邦の危機管理
体制が動くはずです。ですが、行政の動きは鈍いままでした。暗澹たる思いというの
は、そういういうことです。ブッシュ大統領は、テキサス州の牧場での夏休みを切り
上げて急遽ホワイトハウスに戻り、災害への対応を指揮し始めたというのですが、そ
の第一声の中で「外国の支援は受けない」と明言し、またこの災害を克服した後には
「強いアメリカが必ず復活する」と胸を張りました。

 その前に、ブッシュ大統領は、テキサスからワシントンへ向かう専用機「エアフォ
ース・ワン」の飛行経路を迂回させて、ニューオーリンズ上空を飛行、窓越しに水没
した町を見たというのですが、このホワイトハウス入りの遅れも含めて、連邦政府の
対応の遅さが問題になりました。

 NYタイムスはこのブッシュ演説を「最悪のスピーチ」と非難していますが、それ
は対応が遅いだけということではありません。現状を把握できていないのに、各州か
らの州兵を史上最大の三万人送るとか、食事を何百万食用意するとか、部分部分の数
字は具体的なのです。つまり、本質を外し、タイミングを外しているということです。

 例えば、実際問題として、本稿の時点でも「カタリーナ」の本当の被害規模は全く
わかっていないのです。まずもって死者の数の見積もりも出来ていません。市内に取
り残されている人間の概算も分かっていません。報道によれば、1日の木曜日の午後
の時点で、高級ホテルの中に300人が取り残され水に囲まれているのですが、そこ
に警察や消防、軍といった救援部隊は全く立ち寄っていないのだそうです。どこに何
人人間がいて、どのような危険に晒されているのかも分からないのです。

 連邦政府は、非難にさらされると慌てて州兵を送り込み、物資を送り込んでいます
が、そうした人力をどう活用するのか、まだ計画も指揮命令系統も確立していないよ
うです。危険に晒されている人を救出し、安全なところへ移す作業は、金曜日から動
き出していますが、まだまだ整然とはしていません。遺体収容に関しては進んでいま
せんし、個人個人が仮に生活をするための避難先の確保、あるいは家族同士が安否確
認のできる通信手段の確保、そうした手順を示し、人々に納得感と希望を与える作業
が全くできていないのです。リーダーシップが明らかに不在です。

 現時点では、大量の州兵が導入されたのでやや好転していますが、週の半ばには
ニューオーリンズ市内の治安が大問題になりました。ハリケーンの警報が発令されて
以来、この地域ではリーダーシップが機能しないまま、事態は常に最悪の結果を招い
てきました。その最たるものが、この治安の崩壊という形で現れたのだと思います。
きっかけは略奪の横行でした。ハリケーンの去った直後から、全市停電という事態の
中で、市内で商店を略奪する動きが始まりました。

 最初は警察当局が取り締まりをしていたのですが、その取り締まりが緩んだのです。
他でもありません。ルイジアナ州のキャサリン・バビヌー・ブランコ知事(民主)が、
略奪の容認とも取れる発言をしてしまったのです。火曜日の時点で「何もかもを失っ
た人間には同情の余地もあります。それに、今は生存者の救出を最優先にすべきです」
というのが発言の内容でした。この発言をきっかけに、略奪への取り締まりが緩み、
それどころか31日の水曜日のNBCのTV映像によれば、制服姿の警官がウォール
マートから商品を失敬する姿をTVに映されても悪びれない、という大失態に至って
います。

 その結果として、出来心(?)の略奪が、1日の木曜までには武装したギャング集
団の横行に発展し、州兵と市民の緊張が拡大することになりました。そんな中、木曜
日にはフットボールの室内競技場「スーパードーム」に収容していた被災者を移送す
る作業の間に、発砲事件があったり、病院が銃撃されたりという事態に立ち至ってい
ます。その結果として、ボートによる生存者救出作戦が「治安悪化のため」に中断を
余儀なくされて、市当局は「略奪や不法行為には厳罰をもって臨む」という布告を出
しました。

 朝令暮改も良いところですし、いわゆる危機管理のイロハが全く押さえられていな
いとも言えるでしょう。ブランコ知事は、被災の直後の会見では「ただひたすら胸の
つぶれる思いです」と言って泣き崩れそうになるなど、危機に当たってのリーダー
シップには向いていない人物とも言えるようです。その会見では、崩れそうになる知
事を、ルイジアナ選出のメアリー・ランドリュー上院議員(民主)が支えるようにし
ていました。

 目下のところ、TVなどで全国に支援を要請する役は、このランドリュー上院議員
が努めていますが、彼女は知事よりはハートの強そうな人物ですが、会見では知事か
ら大統領、軍部まで「偉い人たち全てに気を使う」八方美人ぶりで、これまた危機を
直視できるような人材ではないようです。

 では、今回の災害のうち、人災に当たる部分というのは彼女達に責任があるので
しょうか。セプテンバー・イレブンスの際に、膨大な死から逃げることなく何百とい
う葬儀に出席し続けながら危機管理の指揮を続けたルドルフ・ジュリアーニ市長(当
時、共和)と、連邦からの援助を必死で引き出し続けたヒラリー・クリントン上院議
員(民主)のコンビが街の復興に当たって存在感を発揮しました。この2人のような
傑物がいれば、何とかなるのでしょうか。

 実際問題として、民主党の地方行政を批判している共和党の議員達からは、今回の
事態は地方政府には任せておけないから、誰か有能な人物に全権を掌握させて危機を
乗り切るべきだという声が上がりました。2日の金曜日には、具体的な実名として、
ジュリアーニ元市長に加えて、兵站のマネジメントに練達したパウエル前国務長官や、
フランクス前イラク派遣軍指揮官などの名前が挙がっています。その動きを察知して
か、ランドリュー議員までが「閣僚級の責任者を置いて欲しい」などと言い出してい
ます。

 ニューオーリンズの問題はリーダーシップだけではありません。人種の問題が根深
く横たわっています。そこに今回の人災の本質があり、アメリカがこの危機を克服で
きるのかどうかは、ブッシュ大統領のような威勢の良い演説ではなく、人種問題を直
視し、それを踏まえた現実的な秩序再建ができるかにかかっているのだと思います。

 ニューオーリンズは人口48万人の大都市です。日本で言えば、これは新潟、東大
阪、姫路という人口の規模です。その人口比は、黒人が67%、白人が28%、ヒス
パニック3%、アジア系2%(2000年の国勢調査センサスによる)と圧倒的に黒
人が多数を占めています。今回「全市避難」と言いながら貧困層は取り残された、そ
の多くは黒人です。「スーパードーム」で恐怖の一夜を過ごし、その後テキサスへ避
難した2万人のほとんどが黒人なら、家の2階まで水没する中で、そのまま逃げ遅れ
て溺死した人々も多くは黒人です。

 そして「取り残された」という思い、何もかも失ってしまったという絶望感から、
面白半分の略奪行為をどこかで正当化するような心理が働いたのでしょうか。当初の
略奪犯のほとんどは黒人でした。では、ブランコ知事の「略奪容認」発言はどうして
治安悪化の引き金になったのでしょうか。それは、犯罪が横行し、警察官までモラル
を失う中で、より凶悪な連中を跋扈させただけではありません。

 ある種の優しさから出たものであっても、あるいは人命救助最優先というホンネが
でたのだとしても、黒人住民を対象に、白人の知事が略奪を容認するというのは黒人
の人格の否定なのです。黒人被災者を本当に勇気づけたいのなら、軽微な略奪も許さ
ない姿勢、つまり非常時であっても人間らしい社会秩序を黒人コミュニティでは守り
通すのだという姿勢を見せるべきだと思うのです。

 生存者優先という宣言も一見するともっともらしいのですが、問題があります。そ
れは「遺体を放置せよ」という指示を伴っていたからです。確かに生存者の救出は急
務です。そして人手に限界がある以上、遺体の収容や、確認はその次になるのでしょ
う。ですが、知事が自ら「遺体収容は後回し」であるとか「死者の数は見当がつかな
い」と言うのは全く別の次元の問題です。

 戦争にしても天災にしても、大規模な「死」と向かい合うときの鉄則は同じです。
それは、コミュニティとして死者への礼節を欠かさないということです。遺体を見て
も、それを放置するというのは許されないはずです。遺体を放置するということは、
何よりも生き残った人々に遺体とともに寝起きせよということです。また、死んだ人
間を人間扱いしないという姿勢は、生きている人間も人間扱いしていないという印象
につながるからです。

 人が足りなければ、動員する。それができなければ、政府の人間と生存者した市民
が一緒になってでも、遺体の収容を進めるのが鉄則でしょう。勿論、ニューオーリン
ズの場合は水があります。水面のすぐ下に高圧電流が流れていたりする、確かにそう
でしょう。水死体を陸揚げしても、腐敗を止められないから衛生上無理だというのも
分かります。ですが、そうして死者への礼節を失う中で、橋の上の行き倒れが放置さ
れるような状況が出てくるのだと思います。とにかく、人間が人間扱いされていない、
これが最大の問題です。

 例えば、一時的な避難所となった「スーパードーム」ですが、1万人近い人間を収
容しておいて、電気と水が止まるというのはどういうことなのか。トイレが詰まり、
シャワーに入れない人間が1万人冷房のない同一空間に閉じこめられている、その中
で異臭が充満してくる、それを被災者の抗議、いや不穏な雰囲気が出るまで放置する、
あるいは行政の指導者が自分の言葉で勇気づけることもしない、そして機関銃を持っ
た州兵が監視する、これは危険です。

 そのスーパードームの1万人ですが、彼等を500キロ離れた他州テキサスのヒュ
ーストンにある「アストロドーム(アストロズ球団の元本拠地球場)」に移送すると
聞いて、最初は私は違和感を感じました。ルイジアナの問題は、まずルイジアナの人
々が助けあうのが自然で、他州に1万人を引き受けてもらうというのは不自然な感じ
がしたのです。

 ですが、もしかすると、黒人を中心とした「難民(アメリカでは難民を意味するレ
フジーという言葉が使われ始めています)」を1万人州の北部に送れば、社会的に様
々なトラブルが起きるかも知れません。勿論、ルイジアナの北部では、町長が「被災
者のホストをする」と申し出るケースも出てきてはいます。ですが、どうやら州内に
は限界があるようです。その意味で、テキサスが「歓迎」するという姿はむしろ救い
なのかもしれません。

 スーパードーム、いやアストロドームの1万人は、それでも避難命令に従っただけ
従順な階層だとも言えるでしょう。ですが、あの上陸前夜に、そして翌日から始まっ
た浸水の際にドームに行かなかった(行けなかった)層というのは、もっと被害が大
きいと同時に、相当の不満を抱えているのだと思います。仮に、ポンプが動き出して
水位が下がり、本格的に遺体収容が始まって、コミュニティの中でその数字が人々を
打ちのめすとき、あるいはブッシュ発言に基づいて増強される州兵との間で、万々が
一にも誤射事件でもあったとしたら、その時には、暴動の発生する危険もあると見た
ほうが良いと思います。

 アストロドームへの移送の際に、あるいは病院の銃撃事件の(噂に過ぎないという
説もあるのですが)際に、「一発の銃声」が人々の心を凍らせたのは、人命を重視し
て銃声に脅えたのではないのです。一発の銃声が引き金になって、手のつけられない
暴動に発展する、そんな恐怖を人々が抱えているからでしょう。

 今回の天災と人災は、ここ数年二大政党の間で続けられた政争の愚かさを暴き出し
たように思います。事態の把握もできない共和党の連邦政府も、素人同然の危機管理
の結果ほぼ絶望状態に陥っている民主党の地方行政も、ただひたすらに人間の弱さを
露呈しているようです。

「外国の支援は受けない」などとブッシュは威張っていますが、日本政府は本格的に
支援を検討すべき時期に来たのではないでしょうか。機関銃を向けるばかりのアメリ
カの州兵よりも、殺気を漂わすことのない日本の治安維持スペシャリストの方が、黒
人社会への貢献ができるのでは、という発想はやや勇み足かもしれません。ですが、
津波被災の際にスリランカで活躍した医師団や、遺体収容の専門家の方々は、今のア
メリカの連邦や州の抱える陣容よりも、ずっと良い仕事をされるのではないかと思う
のです。

 日米同盟は一方的だとよく言われます。ですが、このような相手の危機に際しては、
押し掛け同然であっても、明らかに日本側に強みのあることは出ていって貢献して
いっても良いのではないでしょうか。カネではなく、何らかの形でヒトを出すことは
できないのでしょうか。自動車メーカーなどを始め、日本企業から寄付金の話も出て
います。ですが、カネに関しては出さないほうがおかしい雰囲気なのです。何とかヒ
トを出せないでしょうか。

 2日夕方には、ライス国務長官が記者会見をして国連をはじめ、各国からの援助に
関して丁重に礼を述べていました。ブッシュ発言とは全く逆で、「アメリカは自分だ
けで生きてはいけないことを国際社会が教えてくれた」という立派なスピーチでした。
その中でもライス長官はスリランカからの援助申し出について「非常に感激した」と
繰り返し述べています。「津波被害からまだ復興中なのに、アメリカの被災に対して
援助を申し出てくれた」ことに最大限の感謝をしていました。残念ながら日本への謝
辞はありませんでした。それは50万ドルという日本政府の金額が問題なのではあり
ません。金額の多寡でなく、そこに何のメッセージ性もないからなのです。

 日本の出すべきメッセージは顔の見える、そして人々を勇気づけるヒトではないで
しょうか。苦労する姿を見せて恩を売れというのではありません。細やかな配慮、そ
して計画性と実効性のある災害支援のノウハウが日本にあるからです。例えば、津波
災害に際して派遣された日本の医療チームや、水死体収容チームは、今まさにアメリ
カが必要としている種類の人材ではないでしょうか。

 そんな事態の中、この2日の金曜日から、少しずつ明るいニュースが混じるように
なりました。ライス長官の会見も立派でしたが、頭が下がるのはテキサス州のサン・
アントニオ市のフィル・ハードバーガー市長です。1日の時点で、市議会と協議の結
果、1万人の難民を受け入れると発表したのです。実際に2日になってヒューストン
のアストロドームが満杯になると、これからすぐにサン・アントニオへの難民移送が
始まるようです。

 TVのインタビューに対して「とにかく、私たちの街はきれいだし、土地はあるし、
市議会のみんなも即賛成してくれましたしね」と淡々と語る市長は「カネはいずれ連
邦政府に請求しますよ。でも、今は仮に市の資金から小切手を切っても良いことに市
議会と決めました」というのです。

 それだけではありません。テキサス州は、学齢期の難民(教育難民というそうです)
を3万人受け入れるという話もあります。こうなると石油高騰で儲かっているからだ
ろう、などという失礼なことは言えなくなりました。実際に10時間というバスの旅
に憔悴した難民は、ヒューストンのアストロドームについた途端にボランティア達の
「テキサスへようこそ」という看板に迎えられていました。そこには、ある種の人間
の尊厳を感じた人も多いのではないでしょうか。

 2日の晩にはNBCが「ハリケーン救援コンサート」という1時間番組を放送して
いました。ルイジアナとミシシッピ出身の歌手達を中心にした地味な内容でしたが、
立派な企画だったとも思います。特に、自分の故郷であるニューオーリンズを取材し
て激情をあらわにしていたハリー・コニック・ジュニアの歌とピアノ、そしてウィン
トン・マルサリスの凛としたトランペットの音色には、ある種の希望を感じました。

 まだまだ被災地が大変なのに、救援コンサートとはいえ音楽はどうも、と一瞬思っ
た私ですが、あのトランペットは仮に被災地に流すことができたら、きっと人々の心
を暖かくしたのではないかと思います。同じように故郷のミシシッピが被災したとい
うフェイス・ヒルの歌も立派で、いつもながらの硬い歌唱がかえって頼もしく思えま
した。

 2日にはブッシュ大統領が被災地を駆け巡りました。その中でも、ニューオーリン
ズのネーギン市長と連れ立ってヘリから市内を見て回ったのは悪いことではないと思
います。「連邦政府は人殺し」、「絶望的SOS」など感情的なアピールを連発して
いる黒人市長と率直に話し合ったのですから。ですが、現地での大統領の演説はなく、
被災者や現場の人々との会話は一切オフレコ扱いになりました。大統領自身が、自分
が、この事態を支えるだけの「言葉」を持っていないことを認めている(オフレコと
はつまりそういうことです)のは異例ですが、正直な分だけ良しとしなくてはいけな
いのでしょう。

 ですが、指揮官をどうするかという問題を含めて連邦政府の体制はまだまだ確立し
ていません。それを反映してか、被災地のTV映像には全く星条旗が出てこないので
す。テロリストという敵があれば星条旗がシンボルになる、だが天災と人災に見舞わ
れた人々に取っては、国家はあるいは連邦政府は何の支えにもなっていない、何とも
奇妙なことですが、そんな深層心理があるのでしょう。

 アメリカはまさに国難の渦中にあります。未曾有の国難といっても良いでしょう。
そして事態は日々深刻になっています。セプテンバーイレブンスがアメリカを、世界
を変えたように、この「カタリーナ」も歴史を変えるでしょう。それが決定的に悪い
方向にならないためにも、今が正念場だと思います。

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冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家。米ラトガース大学講師。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア
大学大学院(修士)卒。著書に『9・11(セプテンバー・イレブンス) あの日か
らアメリカ人の心はどう変わったか』、訳書に『プレイグラウンド』(共に小学館)
などがある。最新刊『メジャーリーグの愛され方』(NHK出版生活人新書)。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140881496/jmm05-22


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